深山織作家 川上裕子さんインタビュー前編 ~織物の無限の可能性~
風穴の里の売店に数々の作品が並んでいる「深山織」は稲核地域の代表的な工芸品です。観光に訪れる方に、この土地ならではの工芸品として「自然のぬくもりを感じられる!」と大変好まれています。今日は、風穴の里に隣接する深山織の工房「みどの工房」を訪れ、創作活動をされている川上裕子さんに、深山織の魅力やご自身と深山織との関わりについて、わたくし風穴先人がお話をうかがってきました。
今日はよろしくお願いいたします。
わぁ。たくさんの織機がありますね。
よろしくお願いします。
そうですね。織機は一番古いもので、100年くらい前のものがあります。
その他、よそから譲り受けたものや現代の織機なども合わせて、今はこんな感じです。
明治時代のものもあるなんて!歴史を感じますね。
織物は、この工房がオープンしている夏場に集中して作られるのですか?
(※みどの工房は11/中旬~4/下旬はお休みです)
実はもう一つ「なかや工房」という工房が国道沿いの稲核の集落にあって、そこが自宅兼工房になっているのですが、冬場はその工房で作っています。
深山織は ただいま!と帰ってくる場所に
なるほど。一年を通して作られているんですね。
風穴の里のスタッフさんから、深山織は裕子さんのお祖父さんが始められたとお聞きしました。
深山織のはじまりを教えていただけますか?
はい。祖父が初めて、50年ほどになります。当時、この地域にダムができ、これから観光に力を入れていくという時代の流れがありました。そんな中で、稲核地域の人々が、何かこの土地ならではのおみやげ品をと考え始めたのがきっかけです。深山織は、たて糸に草木などで染めた糸を使い、よこ糸に端切れの布などを織り込んで作っていく、『裂き織り』というスタイルが主になります。
裂き織りというんですね。50年ほど前ということは、裕子さんが生まれる前からということですね。
裕子さんご自身は、どんな子ども時代を過ごされていたのですか?何か深山織との思い出はありますか?
小学校の時は、いつも学校から「ただいま!」と帰ってくる場所が織物の工房でした。
そうすると、作業をしているおばちゃん達が「おかえり!」と迎えてくれ、そこで過ごしていたことを覚えています。
その頃から裕子さんも織物をされていたのでしょうか?
遊びでは小学生くらいから織っていましたね。あとは、母について、完成した作品を上高地や乗鞍高原へと納品しに行ったこともよく覚えています。
「もったいない」 の先にあるものと無限の可能性
なるほど。お祖父さんとお祖母さん、ご両親が携わっておられ、いつも身近に織物がある、そんな裕子さんが、本格的に深山織に携わろうと思い始めたきっかけは何かあるのでしょうか?
そうですね。「もったいない」というところが大きかった気がします。
これだけの織機があり、これまで磨いてきたものがあるのに、このまま途絶えてしまうのは、なんだかもったいないという。
私自身、もともと絵を描くのが好きで、ものをつくったり、色そのものにすごく興味がありました。その流れで、高校を卒業後に染色を学ぼうと思い、美大で染色を学びました。そして、卒業後に帰ってきてから本格的に織物や糸の染色の実践を始めて、今に至ります。
もったいない……。確かにそうですね。織機も技術ももちろんそうですが、深山織も端切れを素材として使ったり、木の皮や草木を染料にしたりして、織りものを作っていくということで、身近にあるどんな素材も無駄にせず利用する、そんな山深い土地ならではの「もったいない精神とその美しさ」が宿っている感じがします。
リズムよく織っていく裕子さん 制作中の織物 春の草木が映し出す景色のよう
子どものころから、ずっと身近に深山織がある裕子さんにとって、深山織の魅力はどんなところにあるのでしょうか?
やっぱり、素朴さですね。手織りならではのあたたかみがありますし、草木など自然素材を使うと、既製品にはないぬくもりや優しさを感じて頂けると思うんです。
本当にそうですね。独特のあたたかみを感じます。それに、自然の風景を見ている感じもするから不思議です。
それと、たて糸・よこ糸の組み合わせで、模様が無限に作れるところも魅力だと思います。初めから緻密にデザインを計画することもありますが、織り進めていくことで段々と見えてくる模様に驚きや発見があったりするときもあるので、そこにも面白さがありますね。
織り進めてはじめて見えてくる模様がある。そこへ行ってみないと分からない景色があるという点で、山登りや景勝地へ行って自然の織りなす景色を楽しむことと似ている気がしてきます。
後編では、深山織の素朴な色の魅力について、お話をうかがっていきます。